September 14, 2006

多摩38年の変化その4

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昔の写真2

 38年前のこの田んぼやコンクリート工場が、今や下の写真(田中団地やスパ昭島)に変貌をとげたことを前の3回で追いました。

 この「多摩38年の変化」は好評で、「もっと昔昭島の写真をたくさん撮影しておくのだった」と後悔しています。

 

 

田中町団地

スパ昭島

さて、

 

 

 

この変化と関係することを書いておきます。

セメント工場と言えば、五日市の石灰石を南武線経由で川崎まで運ぶために、浅野セメントが五日市鉄道(五鉄)を買収・延長しました。

 そのセメントと結びつく物に砂利があります。多摩川の周りには砂利採集業者も多くいました。

 けれど戦後大量に採取してしまい、多摩川の砂利が急速に減りました。

 昭和32年に小河内ダム=奥多摩湖ができたことで、新たな砂利の上流からの補給(?)もなくなり昭和40年頃には、多摩川の砂利採取は終わりました。

 セメント工場が消えたのもそのあとくらいだと記憶しています。

 奥多摩湖ができたことが、「多摩38年の変化その2」で書いた「その後多摩川は、この近辺では幸い氾濫していません。」と結びついてもいます。

 奥多摩湖ができるまでの多摩川の水の量は今よりずっと多く、何度も氾濫して住民を困らせてきました。以前書いた昭島市の築地が移転したのも、多摩川の氾濫が原因でした。

 古い写真の中に写っていたセメント工場から、砂利採集業者や多摩川の氾濫の跡など思い出して書きとめてみました。

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akishima123 at 13:16│Comments(0)TrackBack(0) 昭島市の風景 

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