September 10, 2006

昭島 十二神社の謎

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12神社1

昭島市玉川町の「十二神社」です。ひとつの神社なのに十二神社です。謎です。大げさですが。

  8月に書いた真覚寺「目黄不動」の近くにあります。2003年に移設されました。江戸街道と奥多摩街道の間にありましたが、その二つをつなぎ和田橋に伸びる道にぶつかるために移されました。

 

 

 

12神社2

 写真は7月に目黄不動と一緒の日に撮影しました。

 「これが目黄不動です」「これが十二神社です」と載せるだけなのもなー、と毎日考え続けました。それはウソですけど。

8月14日に目黄不動の記事を書いたのは、目黄が目黒や目白と関係があることを知ったからでした。(都心の方に多い五色不動がなぜ昭島にもあるのか今も不思議です)

目黄不動の記事はこちらへ

十二神社が、なぜ十二神社という名前なのか?管理人は気になるのですが、説明が神社のどこにも書いてないようでした。

 「他の人は気にならないのかなー」と9月になってしまいました。

するとちゃんと本に書いてありました。武蔵野郷土史刊行会・有峰書店共同刊行『多摩の歴史4 立川市・昭島市・福生市・瑞穂町・羽村町』です。

 昨日管理人の母の本棚で見つけました。羽村町とあるのは刊行が昭和50年だからです。

本文をそのまま写します。

「真覚寺より更に西方百メートル(昔の位置です)。そもそもの始めは十二権現といっていたが、明治二十九年に現社名に改められたのである。この神社は縁起よりも祭神の方がややこしい。即ち天地草創の神々で、日本書紀によると、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、国狭槌尊(くにのさづちのみこと)、豊斟渟尊(とよくむねのみこと)、の三神と、男女の神二神を一代として埿土煮尊(うじにのみこと)、沙士煮尊(すいじにのみこと)で一代、大戸之道尊(おおとのじのみこと)と大戸苫辺(おおとまべのみこと)で一代、面足尊(おもだるのみこと)と惺根尊(かしこねのみこと)で一代、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いぢなみのみこと)で一代合わせて四代、三神四代で天神七代といい、天照大神(あまてらすおおみかみ)、天忍穂耳尊(あめのしほみみのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、鸕〔滋の右側=つくりに鳥〕草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を地神五神というのである。合計して七神と五神で十二神ということになるわけだ。」

 写すだけでも大変な説明です。実に欲張った神様のオンパレードです。本に書いてあっても管理人は「でもなぜ十二なの?」と納得がいきません。

 この神社だれが拝んだのだろうと気になりました。おかしな場所にあるからです。目黄不動は、築地(ついじ)の人たちが文化八年の洪水後川原の方から移った時に移転したものだとあります。この神社も築地の人たちが拝んだものでしょうか?

 そんなことを考えていると同じ本の中に次の記述を見つけました。

「築地の渡船場」 馬を耕作用に船で渡すので人は渡さないから税金を取らないでという文が万延二年(1861年)の陳情としてあるそうです。

 その陳情には「これは最寄の十二か村が川の両側へ耕作に通う渡舟であり、凡そ百五十年前からやっていることで・・・」税金・年貢は取らないでくださいという訴えです。

 管理人は、この「十二か村」の「十二」と「十二神社」の「十二」が関係していないのかな、と勝手に楽しんでしまうのでした。

十二神社の地図はこちらへ

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akishima123 at 08:56│Comments(0)TrackBack(0) 昭島市の風景 | 昭島市玉川町

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